初代会長の雑記

 初代会長のマムーです。編集は何回かしましたが一から記事を書くのはなんだかんだで初であり、最初で最後の記事となるかもしれません。ここにあるのは殆どが二代目副会長fuji君が書いたもので、同好会全体として彼に頼りっぱなしだったなあと感じている今日この頃です。
さて、新大祭が終わり多くのサークルで代替わりが行われる時期ですが、新潟大学ポケモン同好会も遂に会長交代となりました。最近では「次の会長がなんとかしてくれる」が口癖となっていましたが、まあ新会長達は私と違って本当になんとかしてくれるでしょう。という訳で会長交代に関して不安は全くありません。よってそのことに関して特に言うことも無いので以下自分語りが主になっています。


一年生が創設しリーダーになった場合長期政権になるというのはありがちなことだとは思いますが、私のような仕事のできない人間が約二年半も会長を務めることになるとは正直考えていませんでした。この団体を創設した動機に関してはあまり覚えていませんが、高校時代行こうと考えていた大学にポケサーなるものが存在すると聞いたのが恐らく全ての始まりです。当時は「大学生にもなってポケモンやってるのか」などと考えていました。高校時代は確かにポケモンに触れてはいましたが、いわゆる対戦に関しては全くの素人で、レート参戦はおろか人間との対戦自体あまりやってなかった気がします。その上「メガシンカ」なるものが登場したことで脳が完全についていくのを拒否しXYを買わなかったため環境からは完全に置いて行かれ、結局3DSを手に入れたのも大学入学時でした。


 そんな私ですが大学入学までの暇な時間にやることがポケモンくらいしかなかったせいか再びハマります(とはいっても相変わらず第五世代をプレイしていました)。「ポケモンZが出たら買おう」と考え第六世代についていろいろ調べ始め、自分のパソコンを手に入れたこともあり乱数調整にも手を出し6Vメタモン量産などの準備もしていました。そして何より対戦をしたいと考えるようになり(だいたい悲しみの少年時代と無線LANが無かった実家のせい)、そのためにはポケサーに入るのが手っ取り早いと思いポケサーを探しますが、当時の私は新潟大学でそれらしき組織を見つけることができませんでした。そこから「ないならつくればいいじゃない」などと考えた訳ではないと思うのですが、結果として仲間とともにポケサーを創設するという行動に出て(二年時の私曰く「狂った挙句の暴挙」)初代会長となりました。


 事あるごとに無能と自称する私ですが、会長として自分からあまり動かないのは計画通りといえば計画通りでした。
私の仕事は創設時とりあえず臨時会長として存在することだと考えていて、ある程度活動が軌道に乗ってきたら会長を交代するつもりだったためです。「ORASが出るらしいからポケサー作ってみたら人集まるんじゃないかな」と言い始めたのは確かに私だったような気がしますが、それを実行しLINEグループをつくったのは初代副会長であり、初期に中心的な役割を担ったのも彼でした。
XYを持っておらずレートにも参加したことのない私が会長に選ばれた理由はただ一つ、創設時のメンバー四人の内で最も暇だったためです。大学一年生の五月上旬時点で私はサークルに所属していませんでした。入りたいサークルも無かったため前述したような思いもあり「つくろう」となったのかもしれません。
ただ当時の私に創設後の具体的なプランなどあるわけもなく、メンバーがやりたいようにやってもらえれば団体として勝手に動いていくだろうと考えたため「会長は君臨すれども統治せず」をモットーとして(臨時)会長をやることにしました。


 五人目のメンバーとしてfuji君が加入したあたりからやっと具体的な活動が始まったような気がします。定例会が始まり、彼を中心として物事が回っていくようになったので何度か会長を交代しようとも思いましたが過去に会長交代を断られているために切り出せませんでした。
いつ交代を提案したのかというと初めて会った時です。まだ正式加入もしてないのに初対面の会長から「会長にならない?」なんて言われたらそりゃ断られるだろうって話ですが、当時の私はすぐにでも会長の座を譲ろうと考えていたうえfuji君が実力者であることは素人目にも明らかで、また話をする中で今後のプランというものも持っているようだったため割と本気で交代するつもりで打診し、当然のように断られてしまった訳です。その他の人にも会長打診をしたような気がしますが、全て断られています。


 そんなこんなで会長を続けていた私ですが、ORAS発売前はメンバーと対戦することができず定例会でも誰よりも早く帰っていました。発売後も私はゲームの進行が途轍もなく遅く、バトルリゾート到達が春休み中だったため初めて対戦に参加したのが二年生時の新歓交流対戦会となってしまいました。確かその時は寝坊して遅刻しています。


 こうして会長交代の機を逃したまま同好会創設から一年経ち、その頃には他のサークル同様三年の途中まで会長やろうと考えるようになっていました。二年目となった昨年度は新歓イベントに始まりPCLなど他サークルとの交流、新大祭参加等新たな試みをしていくようになり、その後に関しては皆さんも知る通りです。


 なんとなく振り返ってみましたが内容が薄く短いですね。それだけ私が何も成し遂げていないということの証拠かもしれません。
こんな私が長いこと会長を続けることができ、同好会自体発展することができたのは私が強運だったという以外に無いと思います。
メンバーなら嫌というほど思い知らされていると思いますが、ことポケモンに関して私は非常に運が良いです。対戦以外でもそれは例外ではなく、有能なメンバーが居て、外部の方々との出会いもあって、その他諸々の幸運があって今まで私は新潟大学ポケモン同好会の会長を楽しくやってこられました。当初は複雑な思いもありましたが、今は創設して本当に良かったと考えています。
今まで本当にありがとうございました。そして新会長のもと1メンバーとして活動していくのでこれからもよろしくお願いします。